「シンギュラリティ」

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 囲碁の世界チャンピオンが人口知能との対局で負けたとニュースで知ってはいたものの、自動車の自動運転にしても、言語の自動翻訳にしてもまだまだ人口知能が人間に取って代わるのは早いだろうと思っていました。  しかしテレビの情報番組で「シンギュラリティ(技術的特異点)」という耳慣れない言葉を聞き、その概念を詳しく解説した書籍を何冊か読みました。
 遅くとも2040年頃までには人工知能が自己学習を繰り返し、人類に替わって世界を支配してしまうくらいに急激に発展するだろうと予測されています。その技術的な到達時期のことをシンギュラリティと呼び、功罪さまざまに評論されています。
 科学が発展するとその罪過ばかりをあげつらう人がいます。でも人間の認識とはかなりの錯覚に基ずいているものだと思うのです。よく自然の風景といえば、田んぼや畑が広がって長閑な田舎の景色を思い出す人が多いと思いますが、小説家の古井由吉さんが「田んぼをよく見るとこれだけの狭い土地に稲を密集させて植え込み、収穫する日本人の培ってきた科学だ」と何かの本に書いておられましたが、まったくその通りだと感じます。田んぼや畑もまた自然を改良した人間の文明なのであって、決して自然そのものではないのです。
 科学の発達は知らず知らずのうちにその恩恵を受けているようなもので、否定してばかりいて何がはじまるのでしょうか?夢の未来の来訪を楽天的に待ち望んでいるわけではありませんが、人間が支配して来たこの地球から一度でも、差別や暴力や戦争がなくなった時代があったでしょうか?それなら、人類に変わって人工知能に世界を差配してもらった方が平和になるんじゃないのかというのは、2040年頃には多分この世にいないと思う僕の楽天的すぎる意見でしょうか?

 

2016年9月27日


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